====================== Solution Forcus Buddhism こころ寺子屋 ======================
宗教でも哲学でも学問でもなく、生き方としての仏教"菩薩道"。
それは自分も周りも皆が笑顔になる為の自己修練の道です。
自分に人に社会にいいことしよう!がコンセプトのTERAKOYA eduが主催する、 解決志向仏教を活用して人間力を向上する〜全六回講座こころ寺子屋が、あなたの人生を応援します。
あなたの悩み解決できます。もう一人で悩まないで!

信仰儀礼型仏教から解決志向型仏教へ


『こころ寺子屋』では「自己の問題解決」と「人の為にという生きがいの創造」を目的として情報発信しています




あなたは今どんな問題に悩んでいますか?
ストレス解消法でニコニコ
仕事のこと? 恋愛のこと? 家族のこと? 人間関係のこと?
先のことを考え心配したり、やってしまったことに後悔したり、人と比べてブルーになったり・・・

そしてこんなことに悩んだりしてませんか?
毎日イライラしてばかり、ストレスでしんどい、マイナス思考な自分が嫌、やりたいことがみつからない、自分に自信が持てない、人生に充実感がない、心豊かでありたい、精神的に成長したい、もう傷つきたくない、傷つけたくない、自分を変えたい、人生をもっとよくしたい・・・

悩みや問題を持っていることは特別悪いことではありません。
問題なのは、その問題がある限り自分は幸せになれないと思ってしまっていることです。

今日までよく頑張ってきましたね。もう十分すぎるほど悩んできたんですから、そろそろ終わりにしましょうよ。
私もそんなうちの一人でした
はじめまして、こころ寺子屋を主宰している僧侶の名和英海と申します。

私は幼少より親の目・人の目を気にする神経質な人間でした。
どうやったらほめてもらえるだろう、何が出来たら認めてもらえるだろう・・・
そして嫌われないように、失望されないように、怒られないように、そればかりを考えて生きてきました。

コンプレックスもたくさんありました。
私は広いおでこ・薄眉・細髪の三拍子が揃っており、しょっちゅうハゲハゲといじられていました。
また、異性と話が出来ない、人前でものが食べれない、ここでは書けない性的な悩みなど、人知れず辛い思いをいくつも抱えていました。
周りに友達はいましたが、心はいつも孤独でした。

それでも幸か不幸か、人前でうまく立ち回る・自分を偽って大きく見せることに対する努力への情熱と少しばかりの才能があったようで、有名大学・一流企業と、コンプレックスを隠し通し、誰もが私は「何の悩みもなく成功した人生を送っている」と思っていたと思います。
人に羨ましがられることはあっても、悩みを抱えて苦しんでいることを知る人間は誰もいませんでした。
でも、私の心は今にも張り裂けそうでした。

もっともっと私を認めてほしい!そんな焦燥とした思いに駆り立てられながら、と同時にそれなりの結果を出してきたうぬぼれも手伝って、起業を志して会社を辞めました。
しかし、しょせんは井の中の蛙、今まで人に支えられてここまで来れていたことも知らずに、自分一人の力と思い上がっていた張りぼての自信がガラガラと崩れてゆきました。
何とかしなければと嘘に嘘を塗り重ね、気がつけばお金も友人も自尊心も、全てを失いました。
何もかもから逃げ出したい
出家。
考えてみれば、生まれて初めて親の反対を押し切って選んだ道だったかもしれません。
お寺での毎日は、予想に反して楽であり、しかしある意味耐え難いものでした。
早起きや正座という身体的な苦痛もありましたが、何よりもエリートとしてバリバリ働いていたこの私が、日がな一日掃除と読経だけの、何の能力も必要としないあまりにも非生産的な毎日を一年二年と続けてゆくのです。

誰の役にも立っていないという怖れ!

しかしある時、はたと気づいたのです。
なんと私は全く嘘をついていない!?
あれだけ隠そう隠そうとしていたおでこを坊主にしてさらけ出し、毎日かっこ悪い作務衣で過ごし、一銭も稼がず何の役にも立っていない私が、生きていることを許されている。
いつの間にか私の心は平和でした。

今まで自分を守るために、人にも自分にも嘘や言い訳をどれ程してきたことでしょう。
けれどもいつも苦しいままでした。
嘘をつかない、自分を大きく見せない、ありのまま等身大の自分。
自分を守ろうとすることをやめた時、一番心が平和だったのです。

友達をなくした、そう思っていた私にとって結婚式は恐怖以外の何者でもありませんでした。
ところがみんなは許してくれていました。そしてお祝いに来てくれました。
自分を守ることをやめた時、人が世界が私を守ってくれるようになったのです。

私が問題だと思っていた悩みは全て、原因分析などすることなしに、いつの間にかほとんど解消されていました。
ただ嘘をつかないというそれだけで!
これが仏教の本当の力なのです
祈祷、信仰、儀式、作法、それらは仏教の本質ではありません。
仏(全智者)の教えに基づく生き方は、それ自体がパワフルな問題解決法そのものだったのです。

何もしなくていい。
そのことを知ったはずの私は、現在おそらくあなたよりもずっと忙しく社会活動に動き回っています。
自分に正直になると、やりたいこと・やるべきことがはっきりと見えてくるからです。

その中で、もしも昔の私と同じように悩みを抱えている人がいるならば、本当の仏教「Solution Forcus Buddhism」を伝えてゆきたいと思っています。
坊さんとしてというよりは、同じ悩める人間として、ラフにTシャツでやりますから、あなたも気軽に会いに来て下さい。

都内各地で開催中です(定例会場は武蔵境・調布の西方寺)

都内近郊3人以上が集まれば出張講座します。場所は自宅でもレンタルスペースでも構いません。



あ、一番大事なことを忘れてました・・・

結局のところ、人との出会いが人生を変えるんだということを。

本を何十冊読んでも何も変わらなかった私の人生が、金子先生(現在長野本山大住職)に出会って変わったように。
あなたとお会いした時には何が起こるのか、あなたとの一期一会を楽しみにしております。







追伸
どうしても直接寺子屋に来る勇気の出ない人、まずはメールでご相談に乗りますよ。


Happy, at rest, may all beings be happy at heart!
生きとし生けるものはみな幸いであれ、安穏であれ!



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特別投稿企画「ボサツってる人」を探せ!

こんなことをしてもらって嬉しかった、あんなことをしている人を見かけて感心した・・・
街で見かけた「ボサツってる人々」の心温まるあんなこと、こんなこと。
ここは、そんな目撃情報をコメント欄に投稿して頂き、みんなでほのぼのするコーナーです。




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奈良時代の名僧、行基菩薩

「菩薩」と言えば、大乗仏教興隆以前にはお釈迦様の成道前の修行時代のことのみを指し、大乗仏教においては観音菩薩や文殊菩薩、弥勒菩薩などへの信仰が盛んになりました。
ところが、歴史上実際に存在した人間でありながら、人の為にとの想いに人生を捧げたその生き様を称えて人々から「菩薩」と呼ばれ敬われた方々がいます。
そんな方々の生き様を通して「菩薩道とは何か」を受け取り、彼らのいのちを引き継いでゆきたいものです。
710年(和銅3年)3月10日都が藤原京から平城京へ遷都され、行基43歳は、薬師寺、大安寺(大官大寺)等の南都の諸大寺の移建に貢献したが、711年(和銅4年)9月4日諸国の役民が造都に労し奔亡(ほんぼう)多く、詔(みことのり)が出されて、兵庫に軍営が建てられ、712年(和銅5年)正月16日諸国の役民で帰郷の時に飢える者が多く、国司らが賑恤(しんじゅつ)し、10月29日帰郷の役夫と運脚夫の困難を救う為、郡稻を便地に貯えて交易せられたが、見るに見かねた行基45歳は、貧困に苦しむ民衆に飯を与えて泊める為の施設、「布施屋」を摂津に3つ、和泉、河内、山城にそれぞれ2つ建て、また、生駒山の東側(生駒谷)に僧庵「草野仙房(かやのせんぼう)」を営み、そこで布教活動をしましたが、寺院外でも布教の禁止を破って行ったため、717年(養老元年)4月23日行基の民間伝道が僧尼令違反として弾圧されたが、それでも、女帝で第44代元正天皇の御代、721年(養老5年)行基54歳は、平城京右京三条三坊に寺史乙丸より宅を寄進され、そこの地名を取って菅原寺(現在の喜光寺)と称し、それまでの和泉、河内を中心とする活動から、菅原寺を中心に活発な布教活動を行うと、境内に入りきれない難民が溢れました。

なお、行基は全国を行脚するために我国初の日本地図である「行基図」を作り、後々まで日本地図の原図として用いられ、原図は現存しないけど、江戸時代の中期に「長久保赤水」や「伊能忠敬」が現われる以前の日本地図は、「行基図」を元にしたものと云われています。

また、行基は全国各地の温泉も掘り出し、草津温泉、野沢温泉、山代温泉、山中温泉、有馬温泉など、行基開湯の伝説が数多く残っています。

738年(天平10年)行基の布教活動を朝廷が認め、彼を「行基大徳」と呼び、その業績を大いに讃え、行基の布教活動を許しましたが、行基は宗教活動の他、社会事業にも精進し、摂津から河内への直道や、橋(摂津に4、山城に2)、大阪狭山市の狭山池、岸和田市の久米田池、伊丹市行基町の昆陽池などの溜池(和泉に8、摂津に6,河内に1)、船溜まり(和泉、摂津にそれぞれ1)造り、摂津から播磨にかけて、河尻泊(尼崎市神崎町)、大輪田泊(神戸市兵庫区)、魚住泊(明石市魚住町)、韓泊(姫路市的形町)、室生泊(たつの市御津町室津)の5つを整備し、行基が海上の安全を祈祷したら、畳2枚ほどの大きなエイが現れたのが明石の江井島(えいがしま)漁港で、堀(摂津、河内にそれぞれ1)、溝(摂津に3、和泉に2,河内に1)、樋(河内に3)などを各地に造り、その他、行基は「興福寺」、「元興寺」および総国分寺「東大寺」の建立に尽力し、生涯に48ケの大寺院を始め、全国津々浦々に寺院道場を約1400も建立したのに、「元興寺」の智光は行基の悪口を云ったので、地獄へ落ちたが、その後蘇生して行基に謝ったと云われ、「元興寺」の屋根は、日本最古の瓦を使用し、行基葺と呼ばれています。

746年(天平18年)行基は宿願があって春日神祠に参籠すると、春日明神の夢のお告げがあり、「ここから坤(ひつじさる、西南)の方向に霊地がある。すみやかに精舎を建て、人々を救え」と云われたので、当時密生していた椣(しで)の霊木を以て、一刀三礼(いっとうさんらい、一刀するごとに三度礼拝)しながら、高さ1mほどの本尊「薬師如来坐像」を彫り、聖武天皇の勅許を受け一大精舎を建立し、名付けて椣原山(しではらさん)「金勝寺」と称し、また、聖武天皇より賜った長谷試観世音菩薩像を携えて、これを安置する場所を求め、山陽道を下り、和田岬まで来た時、異光を放つ処があったので、不思議に思い近づくと、地中より薬師如来が出現し、その地を有縁の地と定めて伽藍を創建し、薬師如来と携えて来た観世音菩薩像を共に祀ったのが兵庫区今出在家の「薬仙寺」です。

「蟹満寺」の逸話
 「日本霊異記」中巻第八話によると、昔、山城国紀伊郡に生れつき慈悲深い女がいて、7歳の時から法華経を読誦(どくしゅ)し、常に観音菩薩を念じていましたが、ある時、村の牛飼いの子供が蟹八匹を捕って焼いて食おうとしていたので、彼女が着物と蟹を交換して、蟹を助けてやりました。また後に山中で、大蛇が蛙を呑み込もうとしていたので、「お前の嫁になるから、蛙を放しておくれ」と云って、蛙を助けてやりました。
 そして、3日の後、大蛇が彼女に妻になることを要求して来たので、女が行基菩薩に悩みを訴えると、行基菩薩が、「仏・法・僧の三宝を厚く信じなさい」と云われたので、約束の日に女が家に篭り、一心に三宝を敬いお祈りしていると、大蛇が屋根に穴を開けたのに、ドスンと落ちて来ました。よく見ると、大蛇に八匹の蟹が食いつき、八つ裂きにして、昔の恩返しをしました。なお、これらの話は、平安後期の「法華験紀」や「今昔物語集」にも載っています。

(引用元)『奈良観光』(引用転載了承済み)






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鎌倉時代の名僧、忍性菩薩|ストレス解消法&菩薩道総合情報サイト

「菩薩」と言えば、大乗仏教興隆以前にはお釈迦様の成道前の修行時代のことのみを指し、大乗仏教においては観音菩薩や文殊菩薩、弥勒菩薩などへの信仰が盛んになりました。
ところが、歴史上実際に存在した人間でありながら、人の為にとの想いに人生を捧げたその生き様を称えて人々から「菩薩」と呼ばれ敬われた方々がいます。
そんな方々の生き様を通して「菩薩道とは何か」を受け取り、彼らのいのちを引き継いでゆきたいものです。
建保5年(1217年)7月16日、大和国屏風の里(現在の三宅町屏風)に生まれた良観房忍性は真言律宗の高僧で、西大寺を拠点に活動し、後に関東地方に赴いて鎌倉を中心に布教に力を尽くしましたが、何よりも癲者や盲者をはじめとする病者、非人や罪人として差別されている人、さらに貧しい人々のための救済活動の実践に身を捧げた人としてわれわれの心に強く残る中世の「救済の人」です。

西大寺に住まいした忍性は奈良市の奈良坂に、我が国に残る最古の救癲施設である「北山十八間戸」を建設しました。このころ奈良坂に住まう癲者が重傷で市中に物乞いに出ることも出来なかったため、忍性はこの人を負って早朝市中に行き、夕刻に連れて帰って生活が成り立つようにし、これを数年間休まずに続けたと伝えられています。

後に鎌倉の極楽寺を拠点として鎌倉幕府の庇護のもとに戒律の実践と布教、慈善救済活動、国家と人々のための加持祈祷に力を尽くしましたが、特に飢饉や疫病の流行にあたって飢えた人や病者に対して行った救済活動は他に類を見ないものと言えます。鎌倉の桑谷に忍性が開いた療養所では20年の間に46,800人の人が癒され、それに対して亡くなった人は10,450人であったと伝えられています。

忍性は生涯に数多くの弟子を得度させ、寺院を造営し、橋を架け、道をつくり、井戸を掘るという業績を残しましたが、何よりも今日の私達の心に残るのは公衆浴場と療病所と貧者を収容する施設をそれぞれ5ヶ所、貧者に衣料を与えること33,000領といった救済事業と、数字に残らない膨大な救済の活動でしょう。

奈良県磯城郡三宅町公式ホームページ(引用転載依頼済み)







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お釈迦様の前世物語〜戒波羅蜜の完成

『南伝大蔵経』には釈尊の前世すなわち仏陀となる以前に、生まれ変わり死に変わり気の遠くなる程の長い年月、菩薩としての善行を積んでこられたその生き様が、なんと546もの説話として収められています。
これらは「本生経」「本生譚」「ジャータカ」などと呼ばれ、アジアの仏教国の民衆に親しまれ、道徳的な生き方の手本とされ、伝承されてきました。
北伝の大乗仏教にも『六度集経』や『大智度論』などに釈尊の過去世物語が伝えられていますが、南伝のジャータカが童話のような絵物語が多いのに比べて、北伝の本生経は大乗仏教教義に裏付けられたより修行色の濃い物語が多いような気がします。
いずれにしてもこれらの説話は、「如何に生きるか」という菩薩道の実践にあたって大いに参考になるはずですので、私たちにとって分かりやすい、また役に立ちそうな説話をいくつか選んで紹介してゆこうと思います。


『大智度論』所蔵の本生経
昔須陀須摩王という人がありました。この王は精進をなし、戒を守り、つねに真実語を守っていました。ある朝早く車にのり、多くの婇女をひきいて、遊園に行って遊びました。城内を出るとき、一人のバラモンがいて、布施を乞い、王に語って言いました。
「王は実に大福徳の人です。私は身が貧しく、くるしんでいます。どうかあわれみの念をおこし、多少をお与え下さい。」
王は言いました。
「承知した。敬って、願いの如くに、相当の布施をしましょう。私の帰りをお待ちなさい。」

このように語ってから、王は園に入って、水浴をなし、たのしく遊戯をしました。その時、鹿足という名の両翅王がありました。空中から飛び下りてきて、婇女たちの中から王をさらって、連れ去ってゆきました。ちょうど金翅鳥が海中から竜をさらうようでした。女達は大声をあげて泣きました。園全体が驚き、城の内外もさわぎ、悲しみ、あわてました。鹿足は王をとらえて、虚空にとび上り、自分の住んでいる山に来ました。そして王を、すでに捕えていた九十九人の諸王の中に下ろしました。
その時、昔須陀須摩王は、両眼から雨のように涙をながして、悲しみました。そこで鹿足王が尋ねて言いました。
「王族の大王よ、汝はどうして小児の如く烈しく泣くのですか。人は生まれれば、死がある。会すれば必ず離れることがある。」
昔須陀須摩王は答えて言いました。
「私は死を怖れない。しかし信を失うことを恐れます。私は生れてからこれまで、かつて妄語を言うたことがありません。しかし今日早朝、門を出るとき一人のバラモンがあって、私の所へ来て、物を乞いました。私はその時承知して、<帰ってから必ず布施します>と言いました。しかるにこの無常をよく考えないで、彼の心にそむき、自ら欺いて罪を招きました。そのために泣くのみです。」

鹿足王は言いました。
「汝の心が、それ程に妄語を畏れるのであれば、汝が七日間帰り去ることを許しましょう。バラモンに布施をなし終ったら、すぐに帰ってきなさい。もし七日をすぎても帰らなければ、私には両翅の力があるから、汝を捕えることはむつかしくない」と。
そこで須陀須摩王は本国に帰ることができ、心の欲するままに布施をなし、太子を立てて王としました。そして集まってきた人民に懺悔をなし、謝して言いました。
「私の智慧は物事に行きわたらず、国を治めることも如法でなかった。どうか許してほしい。私の今日の身は、自分の所有ではない、いざこれから帰り去ろう」と。
しかし国を挙げて、人民や親族たちは、頭を叩いて王を引きとめました。
「願わくは王よ、心をとどめてこの国を慈しみ、護って下さい。鬼のような鹿足王を心配されなくともよろしいです。きっと鉄の舎、奇兵を設けましょう。たとい鹿足が神であっても、畏れることはありません。」
王は言いました。
「そうすることは、できないのです。」
そして詩を作って言いました。
「真実語は第一の戒である。真実語は天上界に上る梯子である。真実語は小にして大である。妄語すれば地獄に入る。私はいま、真実語を守るために、たとい身を捨てても、心に悔恨はない」と。

王はこのように説いて、出発して去り、鹿足王の所へ到着しました。
鹿足はこれを遠くから見て喜んで言いました。
「汝は本当の実語の人である。約束を失わなかった。人は誰でも身命を惜しむものである。汝は死から逃れることができたのに、帰ってきて約束を守った。汝は本当に大人である。」
その時、須陀須摩王は真実語を讃嘆して言いました。
「真実語を守ってこそ、人間であります。非実語をなす者は人間ではありません。」
このように種々に真実語を讃嘆し、妄語を非難しましたので、鹿足はそれを聞いて、清浄な信心をおこしました。そして須陀須摩王に告げて言いました。
「汝は実によくこの事を説いてくれました。いま放捨しましょう。汝はすでに逃れることができたのです。九十九人の王も汝に布施しましょう。心のままに本国に帰りなさい。」
鹿足がこのように言いましたので、百王はそれぞれ帰り去ることができました。
このように菩薩が前世に戒を守った種々の相を、戒波羅蜜の完成となすのである。

『仏典機戞蔽翅叱橘)筑摩書房

戒律については、部派仏教の僧伽においては250の戒律があると言われていますが、出家在家問わずに守るべき徳目としては「五戒」が初期仏教時代から定められていました。
五戒とは、生き物を殺さない、盗まない、嘘をつかない、ふしだらな行為をしない、酒を飲まない、の五つの戒めです。
この順番からすると第一の戒は「殺さず」でありそうなものですが、そこを「真実語は第一の戒である」と述べられているところが如何にも大乗仏教に伝わる前世物語といえるでしょうか。
大乗仏教の菩薩道においては、「誓願」が重要視されます。
阿弥陀仏が菩薩時代に誓われた「48願」が有名ですが、「この願が成就しなければ誓って仏とはならない」と言って修行した法蔵菩薩は、その誓願を真実とすることによって阿弥陀仏となりました。
このように真実語、嘘をつかないということは、つまり裏表のない心であり、裏表がないということは己と世界とが分離していない「一如」の悟りを現成せしめるということであり、それを波羅蜜(完成)といいます。
嘘をつかない。単純ですが案外難しいです。
ついつい言い訳をしてしまったり、隠し事をしてしまったり・・・
菩薩道の要とは難解な教義などにあるのではなく、結局こうした単純なことが出来るかどうか・・・なんでしょうね。






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お釈迦様の前世物語〜鹿

『南伝大蔵経』には釈尊の前世すなわち仏陀となる以前に、生まれ変わり死に変わり気の遠くなる程の長い年月、菩薩としての善行を積んでこられたその生き様が、なんと546もの説話として収められています。
これらは「本生経」「本生譚」「ジャータカ」などと呼ばれ、アジアの仏教国の民衆に親しまれ、道徳的な生き方の手本とされ、伝承されてきました。
北伝の大乗仏教にも『六度集経』や『大智度論』などに釈尊の過去世物語が伝えられていますが、南伝のジャータカが童話のような絵物語が多いのに比べて、北伝の本生経は大乗仏教教義に裏付けられたより修行色の濃い物語が多いような気がします。
いずれにしてもこれらの説話は、「如何に生きるか」という菩薩道の実践にあたって大いに参考になるはずですので、私たちにとって分かりやすい、また役に立ちそうな説話をいくつか選んで紹介してゆこうと思います。


『南伝大蔵経』所蔵のジャータカ
むかし、インドにブラフマダッタという王さまがいました。
王様は、たいそうシカ狩りがすきで、毎日のように家来をひきつれて野山へ狩りにでかけ、夕食にその肉を食べるのを楽しみにしていました。
シカの群れの中には体の大きな金色のシカ王がいました。
ブラフマダッタ王は、それを見るたび、「殺すのはおしい。よいか、あの金色のシカ王だけは殺すな」と、家来たちに命ずるのでした。
さて、シカ狩りには必ず近くの村人がかりだされました。
そのため、仕事が手につかず、困った村人は考えたすえに広い囲いをつくりそこにシカの群れを追いこみました。
「王さま、これからは囲いの中のシカをとって召しあがってください」
以来、王さまかその家来が、毎日一頭ずつ囲いのシカを弓で射て、もち帰るようになりました。
一方、シカたちはたまりません。囲いの中では逃げもかくれもできないのです。
金色のシカ王もなんとかみんなを励まし守ろうとするのですが、シカたちは毎日の狩りにおびえ、つかれ、病で死ぬものがあとをたちませんでした。

見かねたシカ王はいいました。
「これからは、順番を決めて、一頭ずつ人間の前にすすみでることにしよう。それしか全員が追い回される苦しみからのがれる方法はない」
さっそく、順番を決めるクジ引きが行なわれました。
もちろんシカ王も加わりました。
それからは、順番に当たったシカが、覚悟を決めて、みずから人間の前にすすみでるようになりました。
人間たちはそんなシカたちの苦しみはつゆ知らず、「こりゃ、楽でいいや」といって、毎日シカを殺しつづけたのです。
シカの群れは、表むきは平和で静かになりました。
しかし、その裏でシカたちは死の順番におびえながら暮らしました。
あるものは泣き叫び、あるものはじっと耐え、あるものはやけっぱちになって自分の順番を待ちました。
それは人間に追いまくられていた時とはまたちがった、耐えがたい苦しみだったのです。
シカの群れを暗い影がおおい、みんなイライラして仲間同士の順番をめぐるケンカがたえませんでした。

ある日、金色のシカ王は仲間同士がいい争っているところにであいました。
「どうしたんだ?」
王がたずねると、雌ジカをかこんだシカたちはいいました。
「王さま、聞いてください。今日が順番に当たっているというのに、こいついこうとしないんです。きまりを守らないんです」
「どうしてだね?」
シカ王はやさしく雌ジカにたずねました。
すると、雌ジカは目に涙をいっぱいためてうったえました。
「わたしのお腹には赤ちゃんがいます。生まれたら必ず順番をはたしますから、どうかそれまで待ってください。お願いです」
「じゃ、だれが代わりにいくというんだ!」
「みんな一日だって長く生きていたいんだぞ!」
他のシカは口々にそういって雌ジカをつき押しました。
「まちなさい」
シカ王は静かにいいました。
「王さま、いくら王さまだって例外はなしですよ」

「わかっておる。だからわたしが身代わりにいこう」
シカ王はお城にむかいました。
あるきながら、シカ王の胸は深い悲しみに沈みました。
「ああ、わたしは無力だった・・・。順番を決めたところで死の恐れは形を変えただけなのだ。わたしは結局仲間をだれひとり救えなかった・・・」
お城の家来や料理人たちは、いつものようにシカがやってきたので、それっ!といっせいに矢を放ちました。
シカ王はたくさんの矢をうけて息たえました。
しかし、たおれたシカを見て、家来たちはまっさおになりました。
それはブラフマダッタ王がけっして殺してはいけないと命じていた金色のシカだったからです。
話を聞いてブラフマダッタ王がかけつけました。
「シカ王よ、なぜ王であるおまえがここにきた」
その時です。
一頭のお腹の大きな雌ジカがあとを追うようにヨロヨロとやってきました。
それを見て、王さまはすべてを理解しました。
「そうか、そうだったのか・・・。おまえがあの雌ジカの身代わりになったのだな。おお、金色のシカ王よ、人間の中にもおまえほど忍耐強く、慈悲深い者はいない」
王は心に強い衝撃をうけました。
「わしはおまえたちになんという苦痛を与えていたのだろう。もう狩りはせぬ。囲いもとろう。約束する・・・」
こうして、シカたちはようやく解放されたのでした。

その後、雌ジカはかわいい子どもを生みました。
母ジカはいつも子ジカにいいました。
「あなたはシカ王のおかげで生まれたのよ。シカ王のやさしい心をけっして忘れてはいけません。本当のやさしさだけが世の苦しみを救うことができるのですからね」

『ジャータカ絵本』(諸橋精光著)大法輪閣

お釈迦さまは「人の道」を説きました。
すなわち人間が人間であるために、というのが菩薩道の本懐です。
ではどんな人が人間らしい心を持たない人「人でなし」と呼ばれるのでしょうか?
冷酷な人、思いやりのない人、情けのない人、恩知らず・・・
さてどうすれば人でなしに落ちることなく人間であれるでしょうか。
何も難しいことはないんです。もともと人間に生れてきたのですから・・・
ただ、いまここに生かされていることに感謝できたなら、それだけでもう人間なんです。
この説話では、シカ王の自己犠牲もさることながら、母ジカの「あなたはシカ王のおかげで生れたのよ」「シカ王のやさしい心(恩)をけっして忘れてはいけません」にこそ菩薩道の妙味があるように思います。






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お釈迦様の前世物語〜商人

『南伝大蔵経』には釈尊の前世すなわち仏陀となる以前に、生まれ変わり死に変わり気の遠くなる程の長い年月、菩薩としての善行を積んでこられたその生き様が、なんと546もの説話として収められています。
これらは「本生経」「本生譚」「ジャータカ」などと呼ばれ、アジアの仏教国の民衆に親しまれ、道徳的な生き方の手本とされ、伝承されてきました。
北伝の大乗仏教にも『六度集経』や『大智度論』などに釈尊の過去世物語が伝えられていますが、南伝のジャータカが童話のような絵物語が多いのに比べて、北伝の本生経は大乗仏教教義に裏付けられたより修行色の濃い物語が多いような気がします。
いずれにしてもこれらの説話は、「如何に生きるか」という菩薩道の実践にあたって大いに参考になるはずですので、私たちにとって分かりやすい、また役に立ちそうな説話をいくつか選んで紹介してゆこうと思います。


『南伝大蔵経』所蔵のジャータカ
二人の行商人がつれだって旅にでました。
二人は、ひとつのところを片方が商売し終えたら、もう片方がそこで商売をしていいという申しあわせをして、行商をつづけていました。

ある港町でのことです。
そこには、むかしは大金持ちでしたが、今はすっかりおちぶれて貧しい暮らしをしている、おばあさんと孫娘の家がありました。
その孫娘が行商人の姿を見ていいました。
「おばあさん、わたしに飾り物をひとつ買って、買って!」
しかし、おばあさんにはお金がありません。そこで家の奥から汚らしい茶わんをさがしだしてきました。
実はこれは、むかしこの家で使われていた黄金の茶わんで、ちりにまみれていたため、おばあさんはそれが金であることをまったく知らなかったのです。

「これに見あう飾り物をこの娘に売ってください」
行商人は茶わんの底に傷をつけ、それが純金であることを知りました。
―こいつはすごい。よし、この二人をだましてこれを手に入れてやろう・・・。
そこで行商人は、
「ふん、こんなものまったくつまらんものだ。一文の値打ちもないな」
といって、茶わんを投げすて、立ちさっていきました。
「えーん、飾り物がほしいよ、ほしいよー」
孫娘は泣きじゃくりました。

ちょうどそこに、もう一人の行商人がやってきて声をかけました。
「どうしました」
おばあさんが今あったことを話すと行商人はいいました。
「おじょうちゃん、安心おし、おじさんがその茶わんを買ってあげるから」
そういって茶わんを見た行商人は目を丸くしました。
「こ、これは黄金の茶わんですぞ。十万金はする代物。とてもじゃないが、こんな値打ちのある品をわたしはもっていません」

おばあさんは前の行商人に不愉快な思いをしていただけに、いっそうこの行商人の正直さに心を打たれました。
「きっと、それはあなたの善行の功徳によって黄金に変わったのでしょう。その茶わんはあなたにさしあげます」
行商人はもっていたお金のすべて五百金と、ありったけの売り物五百金分を置いて、何度も礼をいって港へ帰っていきました。

それから間もなくして、前にきた行商人がやってきました。
「ずい分困っているようだから助けてやるよ。あの茶わんをだしな」
すると、おばあさんはいいました。
「あんたはあれを一文の値打ちもないと投げすてたろ。あれはもう立派な行商人に千金で売ってしまったよ」
欲深い行商人はこれを聞いて、一生の不覚と嘆き、お金も品物もまきちらかして、もう一人の行商人を追いかけました。
「返せーっ!おれの黄金の茶わんだぞ。返せー」
しかし、もう船はでたあと。
くやしさのあまり、行商人は血を吐いて死んでしまいました。

もう一人の行商人は黄金の茶わんをもとでに事業に成功しました。
そして、のちにはおばあさんと孫娘のめんどうもみて、幸せに暮らしたということです。

『ジャータカ絵本』(諸橋精光著)大法輪閣

いまの世の中は、なんとなれば「正直者は損をする」ような社会でありますから、普通に生活しているとなかなか気づきにくいのですが、お釈迦様の説かれた善因楽果悪因苦果の法則はまごうことなくこの世界を突き動かしています。
正直者の話としては、有名なイソップ童話の『金の斧』などもありますが、こうした欲に打ち勝つのは比較的簡単です。このようなときの嘘には罪悪感が伴うからです。
しかし例えば仕事でミスをしてしまったときなどに正直に報告するのはなかなか難しいですね。これは自分を守るための嘘だからです。
また、ガン告知など正直に言うと相手を傷つけてしまうんじゃないかという場面での嘘の是非についてもまた難しい問題です。
少なくとも自分の言動に責任を持つという意識が大切だろうと思います。






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お釈迦様の前世物語〜長者

『南伝大蔵経』には釈尊の前世すなわち仏陀となる以前に、生まれ変わり死に変わり気の遠くなる程の長い年月、菩薩としての善行を積んでこられたその生き様が、なんと546もの説話として収められています。
これらは「本生経」「本生譚」「ジャータカ」などと呼ばれ、アジアの仏教国の民衆に親しまれ、道徳的な生き方の手本とされ、伝承されてきました。
北伝の大乗仏教にも『六度集経』や『大智度論』などに釈尊の過去世物語が伝えられていますが、南伝のジャータカが童話のような絵物語が多いのに比べて、北伝の本生経は大乗仏教教義に裏付けられたより修行色の濃い物語が多いような気がします。
いずれにしてもこれらの説話は、「如何に生きるか」という菩薩道の実践にあたって大いに参考になるはずですので、私たちにとって分かりやすい、また役に立ちそうな説話をいくつか選んで紹介してゆこうと思います。


『南伝大蔵経』所蔵のジャータカ
むかし、長者に四人の息子がいました。
ある時、その四人が話をしているうちに、キンスカという木のことが話題になりました。
「でもさ、キンスカっていったいどんな木なんだろう」
「僕たちは一人もその木を見たことがないからよくわからないね」
「じゃ、一度キンスカの木を見にいこうよ」
兄弟は、年よりの御者にたのみました。
「よろしゅうございます。でも、坊ちゃま方、この車には一人しかのせられません。それにわたしも忙しい身なので、わたしが都合がつく時、一人ずつおつれすることにいたしましょう」

こうしてしばらくたったある日、御者はまず長男をつれて森へいきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木でございます」
「ふうん、そうか・・・」
木はちょうど芽をふいている時でした。

またしばらくして御者は次男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます」
「へー・・・」
木はちょうど若葉がしげっている時でした。

またしばらくして御者は三男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、キンスカの木とはこれでございます」
「ほー、これが・・・」
木はちょうど花が咲いている時でした。

それからしばらくして御者は最後の四男を森へつれていきました。
「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます」
「へぇーっ」
木はちょうど実がなっている時でした。

そののち、四人がまた集まった時、みんな得意そうにキンスカの木について話しました。
「キンスカの木ってさ、赤い芽がきれいなんだよね。まるで炎が燃えているみたいにさ」
「いや、若葉がふさふさしたさわやかな木だよ」
「とんでもない。手のひらみたいな赤い花が咲く、かなり気味の悪い木だよ」
「ちがうよ。赤ん坊の頭みたいな大きな実がなる木だよ」
「ちがうよ」
「そっちこそちがうよ!」
みんな互いにゆずらず、いい争いになってきました。

そこで四人は父親のところへいき、だれが正しいのか裁いてもらうことにしました。
父親は話をくわしく聞くと、四人を森のキンスカの木のもとにつれていきました。
「あれっ、僕の見たものとちがう」
「僕のともちがう・・・」
父親はにこにこしていいました。

「おまえたちは確かにキンスカの木を見た。それぞれ正しい。けれどそれぞれがどういう時のキンスカの木かを御者に聞かなかったから、意見がくいちがってしまったんだ。
同じものでも、時期や角度や人によって見え方、感じ方はちがう。このことをよーくおぼえておいて、よく調べ、よく考えてものごとをとらえることが大切だ。
そして、けっして自分だけが正しい、他はまちがっていると決めつけてはいけないんだよ」

『ジャータカ絵本』(諸橋精光著)大法輪閣

自分が正しいと自信を持つことは良いことですが、私たちはとかく自分が正しい=相手が間違っていると短絡的に結論づけてしまい、みんなが正しいという選択肢もあるということを忘れてしまいがちです。
特に思想や宗教の世界では、こうした主張と主張のぶつかり合いが頻繁におこり、テロや戦争にまで発展してしまうことさえあります。
お釈迦様は2500年も昔にこのことを見抜いておられ、論争の愚を戒めておられます(『スッタニパータ』八詩句章)。
仏教は世界でも珍しい「認め合いの宗教」です。
たとえキリスト教によろうとイスラム教によろうと、それによって心が浄まったならば、その人は仏の教えを信ずる人であるといえます。
そして、沈黙している者も非難され、多くを語る者も非難され、少なく語る者も非難されるものだとして、他人からの批判に忍耐することの大切さを説かれました(『ダンマパダ』怒りの章)。
「和を以て尊しとなす」という聖徳太子のこの言葉は、私たち日本人が世界に誇れる尊い精神性を表しております。
日本人として、この心を忘れないようにしたいものですね。






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お釈迦様の前世物語〜龍

『南伝大蔵経』には釈尊の前世すなわち仏陀となる以前に、生まれ変わり死に変わり気の遠くなる程の長い年月、菩薩としての善行を積んでこられたその生き様が、なんと546もの説話として収められています。
これらは「本生経」「本生譚」「ジャータカ」などと呼ばれ、アジアの仏教国の民衆に親しまれ、道徳的な生き方の手本とされ、伝承されてきました。
北伝の大乗仏教にも『六度集経』や『大智度論』などに釈尊の過去世物語が伝えられていますが、南伝のジャータカが童話のような絵物語が多いのに比べて、北伝の本生経は大乗仏教教義に裏付けられたより修行色の濃い物語が多いような気がします。
いずれにしてもこれらの説話は、「如何に生きるか」という菩薩道の実践にあたって大いに参考になるはずですので、私たちにとって分かりやすい、また役に立ちそうな説話をいくつか選んで紹介してゆこうと思います。


『南伝大蔵経』所蔵のジャータカ
むかし、ヒマラヤのふもとに竜の宮殿があり、そこに兄弟の王子がすんでいました。
弟の竜は体が大きいうえに、短気な乱暴者で、他の竜をどなりつけたり、なぐったり、わがまま放題をして暮らしていました。

とうとう竜の王さまはそんな王子に腹を立て、追放を命じました。
しかし、これを聞いた兄の竜は王さまをなだめて、追放を思いとどまらせました。
二度目にまた王さまが怒った時も兄は王さまをなだめました。

しかし、三度目の時には、王さまはもう許そうとはしませんでした。
それどころか、いつも弟をかばう兄にも腹を立てました。
「おまえはなんでこんな乱暴なやつをかばうのだ。おまえもでていけ。二人で都のくさい便所の中で三年間くらすがよい」
王さまは兄弟を竜宮から追いだしてしまいました。

しかたなく、兄弟は都の便所にいき、汚水の中で暮らすようになりました。
それはつらい生活でした。
よく、人間の子どもたちがやってきて石やら、土くれやら、木っころなどを投げつけました。
「見ろよ、あの頭でっかちの竜を」
「なまいきに、尾っぽに針なんかあるぞ」
「ほーんとだ、なまいきだ」
子どもたちは竜の兄弟を口々にからかい、ののしるのでした。
弟の竜は気性が激しく乱暴でしたので、がまんできなくなりました。
「兄さん、あいつらおれたちを馬鹿にしている。おれたちにものすごい毒があること知らないんだ。おれたちの本当の強さを知らないんだ。ようし、鼻で一吹きして、やつらを殺してやる」
弟は牙をむきだしおそいかかろうとしました。

すると、兄の竜は弟をぐっとおさえて、うたをとなえました。
「われらは故郷を 追いだされ 他国に暮らす 身の上だ
どんな悪口 いわれても 
それをぜんぶ しまいこむ 大きな倉を つくりなさい
生まれも身分も 人徳も 知る人いない ところでは
自分をえらいと思いこむ うぬぼれはやく すてるべき
異国において すむものは 
たとえ自分が 正しくて 過ちなしと 思うとも
愚かな人の ののしりは 強く耐えねば ならぬのだ」

このようにして兄弟の竜はそこで三年間の月日を送りました。
弟は時々牙をむき、怒ることもありましたが、そのたびに兄のいいつけを守り、こぶしを震わせ、唇をかんで耐えて、すこしずつ我慢強くなっていきました。

やがて、父王に呼び戻されて国に帰る時には、兄弟はともにわがままな心を抑えることのできる立派な王子に成長していたということです。

『ジャータカ絵本』(諸橋精光著)大法輪閣

よく「あの人は器が大きい」とかいいますけれど、そうしたときの「器」というのは一体何を指すのでしょうか?
あるいは「ふところの深さ」と言い換えることも出来るのではないかと思いますが、いずれにしても、何かがたくさん入るというような感じですね。
その「何か」とはきっと「自分以外のもの」なのではないでしょうか?
自分とは違う意見、自分に対する非難・・・
そうしたものを受け入れるために一番邪魔なものが「自分(我)」です。
我が強くてかつ器が大きいと称される人なんていないですよね。
我が少なければ少ないほど受け入れられるものが増えてゆきます。
僕はこのことを「愛」というのだと思っています。

さて、世間で器が大きいと言われている人は大抵「どん底」の経験者です。
どん底の経験者は自分というものが如何にちっぽけで役に立たないものであるかを身をもって知っているからなのでしょう。
昔から「苦労は買ってでもせよ」とはよくいったもので、もちろん好き好んでどん底を経験する必要もないでしょうが、人生の中で徹底的に一つ事に打ち込んで、とことん自分を追い込んでみる、そんな時期を持つことは必要なのではないでしょうか。






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お釈迦様の前世物語〜オウム

『南伝大蔵経』には釈尊の前世すなわち仏陀となる以前に、生まれ変わり死に変わり気の遠くなる程の長い年月、菩薩としての善行を積んでこられたその生き様が、なんと546もの説話として収められています。
これらは「本生経」「本生譚」「ジャータカ」などと呼ばれ、アジアの仏教国の民衆に親しまれ、道徳的な生き方の手本とされ、伝承されてきました。
北伝の大乗仏教にも『六度集経』や『大智度論』などに釈尊の過去世物語が伝えられていますが、南伝のジャータカが童話のような絵物語が多いのに比べて、北伝の本生経は大乗仏教教義に裏付けられたより修行色の濃い物語が多いような気がします。
いずれにしてもこれらの説話は、「如何に生きるか」という菩薩道の実践にあたって大いに参考になるはずですので、私たちにとって分かりやすい、また役に立ちそうな説話をいくつか選んで紹介してゆこうと思います。


『南伝大蔵経』所蔵のジャータカ
むかし、オウムの森がありました。
オウムの王さまは無欲な鳥で、森の実のなるすみよい季節にはいつもみんなにいいました。
「木の実は必要なだけ食べるんだよ。けっしてそれ以上欲ばってはいけないよ」
また実のならないつらい季節には、
「森の木が枯れないよう、葉や芽をすこしずつ食べるんだよ。あとは河の水をのんでがまんするんだ」
と教え、けっして他の土地に移ろうとはしませんでした。

これを見て帝釈天は感心しました。
「たいていの鳥は食べ物がなくなると他の土地へ移ってしまう。どうして彼らはわずかな食べ物に耐えて、森にいつづけるのだろう。よし、一度彼らを試してみよう」
帝釈天は神通力で森の木をことごとく枯らしてしまいました。
天の力の前に、オウムのなすすべはありません。
ただ心配そうに森を飛び回るばかりでした。
「さあ、オウムもさすがに他の土地へ移るしかあるまい」
そう帝釈天は思いました。

ところが、オウムたちはそれでも森を動こうとしませんでした。
彼らは枯れた木のくずを食べ、河の水をのんで飢えをしのいでいたのです。
そこで帝釈天は白鳥に姿をかえ、オウムの王さまに会いにやってきました。
「わたしたち白鳥でさえ、凍てつく冬には暖かい地方に渡ってゆく。ところが君たちは森がこんなに枯れてしまったのに、どうして森をすてて他の土地に移らないんだ」

すると、オウムの王さまはいいました。
「それは、この森に感謝しているからだよ。わたしたちは今日までこの森の木々によって命をながらえてきた。ある時は実や葉を食べ、ある時は枝に休み、この木々と語りながら毎日を過ごしてきた。この森はわたしたちの大切な友だちであり、恩人なんだ。その森が苦しんでいるというのに、見捨てられるわけないじゃないか」

「そういうことだったのか。ありがとう。わたしは今、真の友情というものをしみじみ教えてもらったよ。お礼に君たちに贈り物をさせてほしい。なんなりといってくれたまえ」
「今はこの森がもとどおりになってくれることだけが願いだよ」
「よし、わかった」
白鳥は河にどぼんととびこみ、翼に水をたっぷりふくませると、森にその水をふりそそぎました。
するとどうでしょう。
枯れ木はみるみる生き返り、枝がはえ、葉がしげり、果実がたわわに実ったのです。
オウムの王は目を輝かせていいました。
「ありがとう。わたしたちの森が生き返ったよ!」

オウムたちの喜ぶようすに、帝釈天の白鳥はしみじみと、
「生き物はみんなこのように生きてほしいものだ」
とつぶやき、そのまま天界へ帰っていったということです。

『ジャータカ絵本』(諸橋精光著)大法輪閣
帝釈天の「お礼に君たちに贈り物をさせてほしい。なんなりといってくれたまえ」に対して、
「今はこの森がもとどおりになってくれることだけが願いだよ」と答えられる心境が素晴らしいですね。
あたり前のことがあたり前であること、究極的にはいまここに生きていることに心から感謝できれば、それ以上に何を求める必要があるでしょうか。
空三昧(実体なし)・無相三昧(対象なし)・無願三昧(欲望なし)を三解脱門といって菩薩の安住する無執着の境地を表していますが、まさに無願にふさわしい逸話です。
「ひとつだけ願いがかなうとしたら何を願う?」という問いを誰でも必ず一度は考えたことがあるのではないかと思いますが、さて皆さんの願いはどんな願いだったでしょうか?






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お釈迦様の前世物語〜うさぎ

『南伝大蔵経』には釈尊の前世すなわち仏陀となる以前に、生まれ変わり死に変わり気の遠くなる程の長い年月、菩薩としての善行を積んでこられたその生き様が、なんと546もの説話として収められています。
これらは「本生経」「本生譚」「ジャータカ」などと呼ばれ、アジアの仏教国の民衆に親しまれ、道徳的な生き方の手本とされ、伝承されてきました。
北伝の大乗仏教にも『六度集経』や『大智度論』などに釈尊の過去世物語が伝えられていますが、南伝のジャータカが童話のような絵物語が多いのに比べて、北伝の本生経は大乗仏教教義に裏付けられたより修行色の濃い物語が多いような気がします。
いずれにしてもこれらの説話は、「如何に生きるか」という菩薩道の実践にあたって大いに参考になるはずですので、私たちにとって分かりやすい、また役に立ちそうな説話をいくつか選んで紹介してゆこうと思います。


『南伝大蔵経』所蔵のジャータカ
むかし、深い森に一匹のウサギがすんでいました。

ウサギには、カワウソと山犬とサルの友だちがいました。
ウサギはいつもみんなにこういっていました。
「困っている人がいたら助けてあげなくてはいけないよ。食べ物がほしいという人には自分の食べ物を分けてあげようね」
「そうだね」
こうして四匹の動物たちは仲良く暮らしていたのです。

ある日のこと、一人の旅の僧が森にやってきました。
よろよろして、ひどく弱っています。
四匹の動物たちは心配してかけよりました。
「どうかしましたか」
「わしは、もう何日も食べ物を口にしておらんのじゃ。すまぬがわしになにか食べ物を施してくださらんか」
さあ、四匹はさっそく食べ物をとりにでかけていきました。

カワウソは大急ぎですみかにもどり、大切にしまっておいた赤い魚をもってきました。
「さあさあ、これを食べてください。おいしい魚です」

山犬もとっておきの肉をもってきました。
「わたしの布施です。さあ、召しあがれ。元気がでます」

サルは木に登ってマンゴーの実をとってきました。
「さあ、甘くておいしい果物を食べてください」

一方、ウサギは季節がら自分の食べ物さえなくて困っている時でした。
必死になってあちこち食べ物をさがすのですが、どうしても見つかりません。
途方に暮れてもどってきたウサギは旅の僧にいいました。
「お願いがあります。どうか薪を集めて火をおこしてください」
いわれるままに旅の僧は火をおこしました。

するとウサギは、
「わたしにはあなたにさしあげる食べ物はなにもありません。どうか、焼けたわたしの体を食べてください!」
そういって真っ赤な火の中にとびこんだのです。

ところが、ふしぎなことに火はすこしも熱くありません。
その時です。旅の僧はみるみるうちに、帝釈天の姿となりました。
「ウサギよ。わたしはおまえが日ごろいっている施しの心が本当かどうか試していたのだ。だが、おまえの気持ちに偽りはなかった。そのやさしい心と行ないが世界中に広まるよう、月におまえの姿を印そう」
帝釈天はそういって天界に帰っていきました。

その夜、四匹の動物たちは山の上に集まりました。
「ウサギさん。お月さまの中にあなたとよく似たウサギがいるよ」
「あれはね、わたしの心が映っているんだ。この心が真実ならば、お月さまは明るく輝く。わたしがちょっとでも悪い心をおこしたら暗くなるんだ」
「今夜の月はとっても明るいね」
「そうだね。また明日からも施しをしていこうね」

みんな笑ってうなずきました。
すると、満月はいちだんと明るさをまして、世界中をてらしていました。

『ジャータカ絵本』(諸橋精光著)大法輪閣

菩薩道においては「布施」は最大の修行徳目であり、布施の究極は自分自身の命をも差し出してしまうということになるでしょうから、ジャータカには自己犠牲の説話がとても多く編纂されています。
その中でもこのウサギの話は、手塚治虫先生の名作『ブッダ』にも登場しますからご存知の方も多いのではないかと思います。
僕自身は自己犠牲をあまり美化しすぎることに対しては消極的でして、四匹の中でウサギが一番の布施をしたという解釈はしておらず、四匹が四匹とも自分のできる精一杯を施した最高の布施であったと考えています。
自分と他人とを秤にかけて自分の不利益にならない程度に施すというような行為は、偽善であって、自他不二の菩薩道ではありませんから、そこを説いている説話であると捉えたいところです。
もちろん偽善であっても何も施さないよりは何万倍も素晴らしいことではありますが。

ところで日本では昔から月の模様を「ウサギの餅つき」と見ますが、インドでも「ウサギ」なんですね!?
聞いたところでは、インドでは「ワニ」と見ることも多いそうですが。
ちなみに中国・韓国ではウサギ、アメリカでは女性の顔、モンゴルでは犬、アラビアではライオン、オーストラリア・ドイツ・オランダ・デンマークでは男、だそうです。






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