====================== Solution Forcus Buddhism こころ寺子屋 ======================
宗教でも哲学でも学問でもなく、生き方としての仏教"菩薩道"。
それは自分も周りも皆が笑顔になる為の自己修練の道です。
自分に人に社会にいいことしよう!がコンセプトのTERAKOYA eduが主催する、 解決志向仏教を活用して人間力を向上する〜全六回講座こころ寺子屋が、あなたの人生を応援します。
あなたの悩み解決できます。もう一人で悩まないで!

信仰儀礼型仏教から解決志向型仏教へ


『こころ寺子屋』では「自己の問題解決」と「人の為にという生きがいの創造」を目的として情報発信しています




あなたは今どんな問題に悩んでいますか?
ストレス解消法でニコニコ
仕事のこと? 恋愛のこと? 家族のこと? 人間関係のこと?
先のことを考え心配したり、やってしまったことに後悔したり、人と比べてブルーになったり・・・

そしてこんなことに悩んだりしてませんか?
毎日イライラしてばかり、ストレスでしんどい、マイナス思考な自分が嫌、やりたいことがみつからない、自分に自信が持てない、人生に充実感がない、心豊かでありたい、精神的に成長したい、もう傷つきたくない、傷つけたくない、自分を変えたい、人生をもっとよくしたい・・・

悩みや問題を持っていることは特別悪いことではありません。
問題なのは、その問題がある限り自分は幸せになれないと思ってしまっていることです。

今日までよく頑張ってきましたね。もう十分すぎるほど悩んできたんですから、そろそろ終わりにしましょうよ。
私もそんなうちの一人でした
はじめまして、こころ寺子屋を主宰している僧侶の名和英海と申します。

私は幼少より親の目・人の目を気にする神経質な人間でした。
どうやったらほめてもらえるだろう、何が出来たら認めてもらえるだろう・・・
そして嫌われないように、失望されないように、怒られないように、そればかりを考えて生きてきました。

コンプレックスもたくさんありました。
私は広いおでこ・薄眉・細髪の三拍子が揃っており、しょっちゅうハゲハゲといじられていました。
また、異性と話が出来ない、人前でものが食べれない、ここでは書けない性的な悩みなど、人知れず辛い思いをいくつも抱えていました。
周りに友達はいましたが、心はいつも孤独でした。

それでも幸か不幸か、人前でうまく立ち回る・自分を偽って大きく見せることに対する努力への情熱と少しばかりの才能があったようで、有名大学・一流企業と、コンプレックスを隠し通し、誰もが私は「何の悩みもなく成功した人生を送っている」と思っていたと思います。
人に羨ましがられることはあっても、悩みを抱えて苦しんでいることを知る人間は誰もいませんでした。
でも、私の心は今にも張り裂けそうでした。

もっともっと私を認めてほしい!そんな焦燥とした思いに駆り立てられながら、と同時にそれなりの結果を出してきたうぬぼれも手伝って、起業を志して会社を辞めました。
しかし、しょせんは井の中の蛙、今まで人に支えられてここまで来れていたことも知らずに、自分一人の力と思い上がっていた張りぼての自信がガラガラと崩れてゆきました。
何とかしなければと嘘に嘘を塗り重ね、気がつけばお金も友人も自尊心も、全てを失いました。
何もかもから逃げ出したい
出家。
考えてみれば、生まれて初めて親の反対を押し切って選んだ道だったかもしれません。
お寺での毎日は、予想に反して楽であり、しかしある意味耐え難いものでした。
早起きや正座という身体的な苦痛もありましたが、何よりもエリートとしてバリバリ働いていたこの私が、日がな一日掃除と読経だけの、何の能力も必要としないあまりにも非生産的な毎日を一年二年と続けてゆくのです。

誰の役にも立っていないという怖れ!

しかしある時、はたと気づいたのです。
なんと私は全く嘘をついていない!?
あれだけ隠そう隠そうとしていたおでこを坊主にしてさらけ出し、毎日かっこ悪い作務衣で過ごし、一銭も稼がず何の役にも立っていない私が、生きていることを許されている。
いつの間にか私の心は平和でした。

今まで自分を守るために、人にも自分にも嘘や言い訳をどれ程してきたことでしょう。
けれどもいつも苦しいままでした。
嘘をつかない、自分を大きく見せない、ありのまま等身大の自分。
自分を守ろうとすることをやめた時、一番心が平和だったのです。

友達をなくした、そう思っていた私にとって結婚式は恐怖以外の何者でもありませんでした。
ところがみんなは許してくれていました。そしてお祝いに来てくれました。
自分を守ることをやめた時、人が世界が私を守ってくれるようになったのです。

私が問題だと思っていた悩みは全て、原因分析などすることなしに、いつの間にかほとんど解消されていました。
ただ嘘をつかないというそれだけで!
これが仏教の本当の力なのです
祈祷、信仰、儀式、作法、それらは仏教の本質ではありません。
仏(全智者)の教えに基づく生き方は、それ自体がパワフルな問題解決法そのものだったのです。

何もしなくていい。
そのことを知ったはずの私は、現在おそらくあなたよりもずっと忙しく社会活動に動き回っています。
自分に正直になると、やりたいこと・やるべきことがはっきりと見えてくるからです。

その中で、もしも昔の私と同じように悩みを抱えている人がいるならば、本当の仏教「Solution Forcus Buddhism」を伝えてゆきたいと思っています。
坊さんとしてというよりは、同じ悩める人間として、ラフにTシャツでやりますから、あなたも気軽に会いに来て下さい。

都内各地で開催中です(定例会場は武蔵境・調布の西方寺)

都内近郊3人以上が集まれば出張講座します。場所は自宅でもレンタルスペースでも構いません。



あ、一番大事なことを忘れてました・・・

結局のところ、人との出会いが人生を変えるんだということを。

本を何十冊読んでも何も変わらなかった私の人生が、金子先生(現在長野本山大住職)に出会って変わったように。
あなたとお会いした時には何が起こるのか、あなたとの一期一会を楽しみにしております。







追伸
どうしても直接寺子屋に来る勇気の出ない人、まずはメールでご相談に乗りますよ。


Happy, at rest, may all beings be happy at heart!
生きとし生けるものはみな幸いであれ、安穏であれ!



ご意見・ご質問等どしどしお寄せ下さい  ■寺子屋edu公式HP ■お問い合わせ


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プチ修行の選び方

1.まず修行の種類を選びます
●坐禅
日本の仏教修行というとまず思いつくのがこれ。全国に坐禅会がいくつもあります。
坐禅には、ただ座る「只管打坐」(曹洞宗系)とお題を与えられる「公案禅」(臨済宗系)があります。
ただ、プチ修行として公案禅を体験できるところはほとんどなく、臨済宗のお寺でも只管で指導しているようです。
ただ座るというのは簡単そうでいて実は一番難しいので、結果が出る人はほとんどいない(僧侶ですら)といわれる難行です。(そもそも結果を出すという性質のものではないのですが)

●瞑想
一つの対象に集中することによって心を統一していく修行法。実に様々な瞑想法がありますが、以下に代表的なものを上げます。
「止観」(天台宗系)
精神統一して物事の真実を観る。
坐禅を含むすべての瞑想法のベースにこれがあるともいわれる仏教瞑想の代表格。
とはいえこれだけでは難しいので様々な瞑想法が工夫されたのですが・・・
「阿字観」(真言宗系)
満月(清浄心の象徴)の中にサンスクリット語の阿の字(大日如来の象徴)が書かれた掛軸を見つめながら、心を拡大縮小させて心の無限性を観想し、最後には自分の心と仏が一つになります。
観想の対象が抽象的なので初心者には難しいかもしれません。
「16観法」(浄土宗系)
観無量寿経という経典に書かれた瞑想法。極楽浄土の様子を順々に観想していくことによって最後には魂が浄土に生まれて見仏します。
原始仏教では不浄観(死体を思い浮かべる等)をすることが多く、その性質上精神錯乱する場合があり極めて危険ですが、16観法は清浄観なのでそうした危険の少ない瞑想法と言われています。
数ある瞑想法の中でも最も具体的な対象を観想するので、初心者には分かりやすい一方で、具体的すぎてその対象に囚われすぎてしまうという難しさもあります。
「内観」(浄土真宗系)
他人との縁(係わり合い)を見ていきます。浄土真宗系というよりは、浄土真宗の一僧侶が編み出した心理療法といった色合いが強いです。

●五体投地
チベットを筆頭に世界の仏教修行では一番メジャーであり、日本の各宗派でも取り入れられています。
その割りになぜか日本では一般に開かれた道場がほとんどありません。
浄土宗の檀家であれば仏名会という大法要で体験することが出来ます。
京都の清涼寺で行う三千礼拝が有名。
坐禅・瞑想では身口意のうち意(心)しか用いませんが、五体投地では身口意の全てを使うので、まさに全てを投げ捨てることによる無所有の境地を体験出来ます。

●口称
時・場所を選ばず誰でも出来る修行法です。
浄土宗や日蓮宗ではこれを最も正しい修行(正行)としており、これ以外の修行法は正行をしやすくするためにまあやってもいいですよ(正行の妨げになるならやらない方がマシ)くらいの位置付けになっています。
ただ、実際問題これだけで宗教体験(回心)をするのは結構難しいのではないかと思いますが・・・
「念仏」(浄土宗系)
南無阿弥陀仏と一心に唱えます。
「題目」(日蓮宗系)
南無妙法蓮華経と一心に唱えます。
「真言(陀羅尼)」(真言宗系)
各仏菩薩に割り当てられたサンスクリット語を一心に唱えます。

●滝行
仏教というよりは修験道系(山伏)の修行法。
いかにも修行らしい修行ですが、滝の圧倒的なパワーに耐えるのが精一杯で精神統一をするのは難しいです。ましてや真実を観るなんてところまではとてもとても。
また都心では出来ないので継続することが難しく、日常の悪習慣を変えることも期待できません(翌日からは元の木阿弥)。
とはいえインパクトは大変強いので、一回きりの気分転換にはとても良いです。

●断食
釈尊のスジャータとの有名な逸話が示す通り、仏教ではあまり勧められていませんが、実際断食してみることによって多くの気づきが得られることは確かです。
生理学的に見ると、内臓機能や脳機能の負担が軽減されることによって、意識は覚醒しながらも脳波が睡眠時や瞑想時の波長に自然となってゆくのだそうです。
ただ健康上の問題など危険性も高いので、細心の注意が必要です。

●写経
大変功徳が大きいと種々の経典に説かれています。
老若男女誰でも手軽に出来て、宗教性(非日常的なアヤシさ)も低いので、最も抵抗無く始められるのではないでしょうか。
ただ宗教性が低い分、その効果(精神統一のレベル、智慧の獲得、人生観の変化など)もやっぱり低いですけどね。


2.次に場所を選びます
やはり継続して出来るように、自宅や職場の近くの通いやすい所である方が望ましいです。


3.最後の決め手は指導者の選択
最後と書きましたが、実は一番重要かもしれません。
まず指導者の人柄です。
例えば霊能力や神通力があっても、それと人格は全く比例しません。それ故に仏教では、修行過程においてそのような力を得たとしても、それは悟りとは全く別のものなので、それに囚われてはいけないと強く戒められております。
悟りの深浅と人格は概ね比例しますので(慈悲心の高まり)、霊能力よりも人柄(誠実さ)を重視して下さい。
とはいえ、他の習い事と違って、ただ知識があって人柄の良いだけの人ではあまり意味がありません。
悟りまでは当然いかずとも、ある程度の宗教体験(回心)を経て信心が決定(自己の解決)している人に習いたいものです。
坐禅会を至る所で見かけるたびによく思うのですが、見性(禅宗で最初の悟りと呼ばれる宗教体験)した僧侶はほとんどいない(禅宗僧侶談)はずなのに、一体何を指導しているのだろうかと。まあ坐禅のやり方を教わるだけならそれでもいいのですが・・・
指導者に関しては本当に玉石混交、見分け方の一例としては「人は何の為に生れてきたのか?」と聞いて「○○の為」と答えたらその人分かってないです。
ただ方便(目の前の相手にとって分かりやすい表現として)で言う場合もあるので、一概には決められませんが。


いずれにしても行動して体験しなければ何も始まりません。
合わなかったらやめればいいだけのこと。
時機が合っていたなら自ずと正しいところへ導かれるものでもあります。
そして続けることによって習得がある。
最後にその習得したものを捨てる。

情報収集→行動→体験→継続→(基本の)習得→放棄→自由自在(自分らしさ)

これはどんな世界にも当てはまる「達成モデル」です。
(例えば絵の世界でいえばピカソなんかが分かりやすいですね)
あなたも共に自由自在を目指して、まずはどうぞ体験なさってみて下さい!



⇒次のページプチ修行に挑戦




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宗教ってなんかアヤシイ?

宗教ってなんかアヤシイ感じがするのですが・・・?

はい、アヤシイです(笑)
ですから普通の人は敬遠します。結果何も変わらない。
普通でない人だけがそれを人生に活かすことができる、いや人生「を」活かすというのでしょうか、はたまた人生「が」活かされるというべきでしょうか。
普通でない人たち、すなわち不治の病や障害を持って生れた人、余命告知をされた人の言動や、大借金を乗り越えて一代で企業を築き上げた経営者、偉大な発見・業績を残した科学者の伝記などを読むとそのことがよく伝わってきます。
例えば20世紀最大の科学者アインシュタインのこんなエピソードなども面白いですね。
アインシュタインは、時間対称性は物理学にとって基本的な原則であると確信していた。
彼は、過去・現在・未来に分けられるような時間は幻想にすぎない、と考えていた。
ある手紙の中で、彼は
「われわれ確信ある物理学者にとって、過去・現在・未来の区別は幻想にすぎません。
持続性のある幻想かもしれませんが・・・」
と言っている。
(略)
アインシュタインはカルナップに対して、「現在」という問題に深刻に悩んでいる、と言った。
現在を経験することは、人間にとって特別な意味をもっている。
現在には過去や未来とは本質的にちがった何かがあるが、この重要なちがいは物理学には現われないし、また現われることもできない、と彼は説明した。
「現在」が科学では把握できないということは、彼にとって避けがたい諦めのようであった。
カルナップは、出来事の時間的系列は物理学で記述される一方、時間に関する人間の独自な経験は、過去・現在・未来に対する態度も含めて、心理学によって記述し、説明することができるだろうと言った。
しかしアインシュタインは、そういう説明ではわれわれの人間的要求を満足させることはできない、と言った。
「現在」には科学の範囲外にある本質的な何かがある、と彼は考えていたのである。

『宗教経験と身体』(湯浅泰雄著、岩波書店)

もちろんここで言う宗教とは、宗教団体・宗教教義のことなんかではありません。
宗教が宗教であるゆえんは「人間いかに生きていかに死ぬか」をとことん突き詰めたところにあるのです。

あなたは幸せな人生と不幸な人生どっちがいいですか?

ではどのように生きたらはたして幸せな人生に近づけるのでしょうか?
幸せになりたくない人などいないのですから、人間として生まれたからには意識的にせよ無意識的にせよ誰しもこの問いに突き当たる。
あとはそうした問いを普通の人はとりあえず横に置いておいて行き当たりばったりの人生を送るわけですが(それでも生きていけるので)、普通でない人たち、特に死に直面している人や不幸のどん底にいる人にとってはこの問いは切実です。
そうした絶望を乗り越えると、こんな言葉が出てくるようになる。
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんななぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』(井村和清)

こうして絶望のどん底(非日常)に光明(幸福な日常)を見つけることができた人はまだ幸せですが、見つけることのできない人、幸福でも不幸でもない非常に中途半端なところで悶々としている私たちは一体どうしたらいいのでしょうか?
光明は「人間いかに生きていかに死ぬか」をとことん突き詰めたところにあるのですから、普通の私たちには全く手が届かないところにあります。

でも普通の私たちだって幸せになりたいんです!

だから井村さんの詩(テレビドラマ化されました)に多くの人が共感し涙したのでしょう。
しかし日常にいては日常は見えない。
井村さんの詩を頭で分かって(他人の光明に)感動は出来ても、腹の底からの実感(回心)がなければ己の光明は差しません。
そこで、意図的に非日常を作り出す方法を考え出したのが、天才釈迦であり天才イエスであり、その教えがいわゆる(狭義の)宗教です。
海外に長く住んでいる人の方がむしろ愛国心が芽生え日本文化に詳しくなるように(このプチ体験が、海外旅行に行くと日本食を食べたくなるアレですね)、非日常に行って初めて日常の有り難さ・素晴らしさが分かるんです。
これが幸福な人生の第一歩。
ですから、どうしても宗教には日常ではない感覚、つまりアヤシイと感じる部分がつきまとうわけです。
といいますか、アヤシクなければ宗教の存在意義が無いということですね。
だから宗教はアヤシクていいんです!・・・開き直り(笑)
日本人は宗教心が薄いので(平和で普通の人が多いのだから当然の帰結です)、昨今宗教を身近になどと言って、お寺で演奏会やらラップでお経やらやっていますが、全くナンセンスだと思います。

ただし気をつけなければいけないのは、宗教の持つ非日常性にまつわる、主に新興宗教団体にありがちなトラブルについてです。
間違った宗教団体に近づいて人生を狂わせてしまわないように、宗教団体の見分け方をよく覚えておいて下さいね!



⇒次のページカルト宗教12の見分け方




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プチ修行のできるお寺

■全国
曹洞宗坐禅会
【坐禅】
坐禅とは、文字の通り、坐る禅ということです。これは、ものごとの真実のすがた、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることをいうのです。そのためには、心を一カ処に集中しなければなりません。
受講料:各寺院により無料〜
時間 :2時間〜2時間半

臨済宗・黄檗宗坐禅会
【坐禅】
禅の目標は、実にこの「我に在る菩薩」を「見」るところにあるといってもよいでしょう。それを「見性[けんしょう]」といっておりますが、見性して観自在の自由自在、思いのままの日常行為をするところにこそ、禅はあります。
受講料:各寺院により無料〜
時間 :1時間〜2時間

■滋賀県
天台宗 比叡山居士林道場
【止観体験コース】
受講料:1,050円
時間 :30分
【止観日帰りコース】
受講料:4,200円
時間 :4時間半

■和歌山県
高野山真言宗 総本山金剛峰寺
【阿字観教室】
阿字観とは真言宗に伝わる瞑想法で、真言禅とも呼ばれています。この瞑想法は心を落ち着かせ、深い内観をとおして自身に内在する仏性(ぶっしょう)とコンタクトを行います。
受講料:1,000円
時間 :2時間〜2時間半




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修行による33の現世利益

 1.心の平安とはどういうものか、二度とイライラ出来なくなるとい
   う意味を体で理解できる
 2.行動することの意義を体で理解し、行動力・実行力が身に付く
 3.継続することの意義を体で理解できる
 4.努力することの意義と、努力する必要がないという言葉の意味を
   体で理解できる
 5.達成するとはどういうものか、体で理解できる
 6.一所懸命することの意義と、今を生きるという言葉の意味を体で
   理解できる
 7.しなければならないことなど何も無いという言葉の意味を体で理
   解できる
 8.真の平等とはどういうことか、体で理解できる
 9.真の自由とはどういうことか、体で理解できる
10.真の愛とは何か、体で理解できる
11.自分とは何者なのか、人生の意味を体で理解できる
12.個性とは何か、為すべき使命を発見できる
13.I'm OK,You are OK、全ては完璧であるという意味を体で理解で
   きる
14.One for all,All for oneの意味を体で理解できる
15.ありがとうの意味を体で理解し、心から感謝できる
16.責任の意味を体で理解できる
17.人間らしさ、すなわち思いやりや優しさを背中で子供に伝えられ
   る
18.何が人の為になるのかを体で理解し、気づかいや臨機応変な対応
   力が出来る
19.許しの意義を体で理解できる
20.後悔と反省の違いを体で理解できる
21.ストレス解消
22.死や失敗への恐れが減少し、生きる力、新しい挑戦への意欲が生れる
23.感情のコントロール、落ち着きが得られる
24.人生観の変化、悩みの克服
25.集中力が増し、脳が活性化し、思考が整理されて問題点が明確化
   する
26.姿勢がよくなり、物腰が柔らかくなる
27.困難に打ち克つ忍耐力が身に付く
28.確固たる自信が備わる
29.良好な人間関係
30.仕事のパフォーマンスの向上
31.健康になる
32.笑顔が増える
33.幸せであれる


まぁこんなに良いことづくめなのですが、それなのに今一歩踏み切れないあなたの気持ちは分かります。
それは、「宗教ってなーんかアヤシイ感じがするんだよなぁ〜」ってところではないですか?


⇒次のページ宗教ってなんかアヤシイ?




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カルト宗教12の見分け方

宗教の持つ正の力には、悩み苦しみを癒し解決にまで導いてくれるだけのものが確かにあります。
しかしそれだけ普遍的で大きな力を持つが故に、それが悪用されたり、あるいは悪気はなくとも間違った方向に向かってしまったりすることもままあります。
特に新興宗教においてよく耳にするトラブルを避け、その被害者にならないように、ましてや加害者になってしまわないために、何としてでも信頼できる指導団体を見つけて頂きたいと思います。
ここにトラブルを起しやすい団体に共通する特徴を挙げておきますので、最低限の知識として憶えておいて頂きたいと思います。
またそれぞれの項目においてまことしやかな言い訳(「正しい者が非難されるのは神の試練」など)がなされるので、ゆめゆめ騙されないようにしたいものです。

【カルト宗教にありがちな12の特徴】
01.教えの内容よりも教祖崇拝が強い
02.教祖が己を神仏や聖者の生まれ変わりであると自称している
03.日常との隔絶性
   (「社会的行為を制限される」など)
04.勧誘数で団体内での地位が決まる
05.反社会的行為の示唆
06.団体名や宗教であることを伏せて勧誘する
07.排他性
   (「不信仰者は悪魔、地獄に落ちる」など)
08.不安を煽るような言動
   (「○○をしないと△△になってしまう」など)
09.自由に退会できない
10.信者の言動顔つきがロボット的で自分らしさがない
   (「作り笑顔」「誰に質問しても同じ答えが返ってくる」など)
11.苦悩に対する検証不能で安易な理由付けがなされる
   (「先祖の祟り」など)
12.モノの購入を強要される
   (「壷や神秘の水」など)


以上、これで最悪の選択は避けられるはずです。
いよいよ次はどんな修行道場を選択すればいいかという核心に入ってゆきましょう。


⇒次のページプチ修行の選び方




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五体倒地と健康の科学

五体倒地礼拝と健康に関する研究記事です。
研究機関がマレーシア大学なので、イスラム教の礼拝という書き方がされていますが、仏教も含めた五体倒地礼拝全般について当てはまるものです。

イスラム教の礼拝は健康に良い=研究結果を首相も称賛―マレーシア〔AFP=時事〕

【クアラルンプール13日】
 マレーシア大学の生医学工学部はこのほど、イスラム教徒が行う礼拝には健康を増進させる効果があるとの研究結果を明らかにした。心臓や脊柱に良い影響を与え、記憶力や注意力も高めるという。

 イスラム教徒は1日に5回の礼拝を行う。礼拝は立った姿勢から始め、深くお辞儀をし、ひざまずいて額を地面に付ける動作を繰り返す。
 ニュー・ストレーツ・タイムズ紙によると、同国のアブドラ首相は礼拝の動作をヨガの動きに例えた上で、礼拝が人体に及ぼす影響を調査したこの研究は礼拝の持つ力を肯定していると称賛。マレーシア国民の多くはイスラム教徒であり、礼拝の持つ精神的効用だけでなく、生物学的・医学的な影響を理解するのは興味深く、重要でもあると述べた。

[ 2006年12月14日1時00分 ]






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他の習い事との違い

光明
 変わろうとしないことが自分を変える早道


今までの生活では何か物足りない・・・
そこで今までの生活に「プラスα」することによって人生を少しでも有意義にしようとするのが通常の習い事です。
こうした考え方は「不足意識」が根底にあり、何かを得ることが出来ればもっとよくなるに違いないといって、もっともっとと欲望が際限なく生まれてきます。
既に何億円も資産を持っているにも関わらず、犯罪を犯してまでもっと稼ごうとする人達のみっともないニュースをよく目にしますよね。
もう働かなくても遊んで暮らせるだろうに・・・なぜ?
この不足意識が無意識層にある限り、例え夢が叶おうが大金持ちになろうが決して満足することはないのです。

菩薩道は、心身の修行によって無意識層にある固定化された考え方に基づいた今までの生活を「リセット(初めの状態に戻す)」して、知らず知らずに抱え込んできたたくさんの重い荷物を手放します。
日々是好日、毎日新しい人生を生き直す生まれ変わりの方法です。
こうした生き方が身に付いてくると、必要なものなど何一つなく、失うものなど何一つないという円満の境地に至ります。
菩薩道を習い修しても、他の習い事のように特別何かが出来るようになる訳ではありません。
ところが何も変わらないのに全てが違って見えることに気がつくはずです。
恐れや不安がなくなり、自分で知らずに付けていた制限(リミッター)が外れ、無限大の可能性が開かれてゆくのです。

菩薩道は、よくある人生哲学のように、偉人の名言を覚えて人生に役立てよう(今までの考え方を否定して新しい考え方を採用する)というものや、理不尽な人生や周りの人の態度を変えるためにはまず自分が変わらなきゃというものとは、似ているようで少し(原理的には大きく)違います。
不思議なことに、何かを得て自分や世界を変えようという「プラスα」の習い事ではほとんど人生は変わりません。
ところが、何も思い通りにしようとしない、あなたも世界も何も変わらないままに平気で生きていけるようになる「リセット」の習い事によって、自然と思いやりや感謝が溢れてきて、逆説的に人生が大きく変わるのを体験することが出来るでしょう。

「プラスα」から「リセット」へ、「ゲット」から「リリース」へ・・・プチ修行とは、こうした「習い事革命」なのです。


⇒次のページ修行による33の現世利益





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五念門

【五修行門】(因)
1.身業礼拝門
・・・一心に恭敬合掌し香華を供養して彼の阿弥陀仏を礼拝する。
2.口業讃嘆門
・・・一心に彼の阿弥陀仏の身相光明と、彼の極楽国土の一切の聖衆の身相光明、及び彼の国中の一切荘厳光明等を讃嘆する。
3.意業観察門(観)
・・・一心に彼の阿弥陀仏及び一切の聖衆の身相光明と、彼の国土の一切の荘厳光明等を憶念観察する。
4.作願門(止)
・・・昼或いは夜一切の時一切の所において、身口意の三業になす所の功徳、行住坐臥の四威儀になす所の功徳を、真実心の中に発願して、彼の極楽浄土に生ぜんと願ずるのである。
5.回向門
・・・回向に往相と還相の二種の回向がある。
   往相回向というのは、もしは諸の善根をなし、もしは他の一切凡聖の所作の善根を随喜し、この随喜の善根と及び自作の善根とを以て、皆悉く一切衆生と共に彼の国に往生せんがために、回向するのを言うのである。
   還相回向というのは、もしは未だ六神通を得ない故、すなわち自在に衆生を教化することが出来ないから、自身まず浄土に往生し本願力によって速やかに六神通を得、しかして後にこの穢国に還来して、尽未来際すなわち成仏に至るまで衆生を教化せんと回向するのである。

【五功徳門】(果)
1.近門
・・・礼拝門の修行によって極楽浄土に生まれたところを宅に近づいた意味で近門という。
2.大会衆門
・・・讃嘆門の修行によって彼の世界の大会衆の数に入ることが出来たところを宅の前で多数の人に出会った意味で大会衆門という。
3.宅門
・・・作願の奢摩他(心の散逸を止める)寂静三昧の修行により、蓮華蔵世界(極楽世界)に入ることが出来たところを、宅に入った意味で宅門という。
4.屋門
・・・観察の毘婆舎那(真理を観見する)の修行によって、蓮華蔵世界の中で種々の法味の楽を受用するところを、座敷に通って饗應を受ける意味で屋門という。
5.園林遊戯地門
・・・利他大悲の誓願を忘れず浄土に生まれた後も、應化身を現して生死の娑婆へ還り来たり、遊戯神通して苦悩の衆生を教化するのを、宅の園林に出て遊戯するに譬えて園林遊戯地門という。








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五門会の名の由来

笑う神
大乗仏教の根幹二大系統の一である瑜伽行唯識学派。
その大成者世親菩薩の『浄土論』によって示された修道論を「五念門」と言います。
ですから、菩薩道六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・三昧・智慧)の具体的実践的な方法論としては、この「五念門」が正統中の正統といえるでしょう。

さて、インド中国日本と三国伝来の浄土教においては、当然ながらこの「五念門」に基づいて修行が修められておりました。
日本へも確かに「五念門」及びそれが整理し直された「五種正行」が伝わっております。
ところが、日本浄土宗の宗祖である鎌倉時代の法然上人によって、当時の学のない民衆でも修行が出来るようにと「専修(称名)念仏」が説かれた為に(それ自体はまさしく生きた宗教としての躍動であったわけですが)、現代人の多くは(僧侶でさえも)浄土の教えはただ「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば救われるというものであると誤解してしまっているのです。
さらに嘆かわしいことには、科学的合理的思考法によって頭でっかち知識偏重となった我々現代人にとっては極楽浄土も阿弥陀仏も妄想物語以外の何者でもなく、一般人はおろか僧侶でさえも菩薩道の正統である浄土の教えを信じることすら出来なくなってしまった有様です。

そうした科学的合理的思考法によって苦悩も減少しているならばそれはそれで良いのですが、実際には
・運動不足と過度のストレスによる心身症の増加
・個人主義の反作用としての生きがいの喪失や孤独感による自殺者の増加
・物質偏重主義で精神性発達阻害による社会問題や犯罪の増加
・注意散漫で集中出来ずやる気のない若者の増加
・他者との関わり不足による社会不適応者(ひきこもりやニート)の増加
というのが現実です。
早急に、人と人とのつながりを取り戻し、真に人間らしい心を取り戻さなければなりません。

こうした現状に対して心理学の見解では、現代的苦悩の緩和解消(癒し)に必要な要素は次の二つであると明らかにしております。
・身体を動かすこと→内にこもっていた心が外に向かう
・大いなる存在(大自然や宇宙)に触れること→自分の悩みなどちっぽけなものだったと気づき受容できる

また以下の点も見逃せません。
・大きな声を出すこと→抑圧して固まっていた感情がほどける
・他人や社会が自分と対立するものではないという実体験をすること→自己肯定他者肯定から前向きに積極的な関わりへと向かう

すなわち温故知新、身体と口を使った「五体倒地礼拝修行」や、知識によって肥大した固定観念を解体して広大な仏の世界(縁起)を観じる意識を使った「瞑想観想内観修行」が、改めてまた現代人に必要とされるようになってきたと言えるでしょう。
さらには釈尊がすべての人の幸せを願った慈悲の心こそが極楽浄土(静)であり、その慈悲心の具体的現れ、すなわち解決法としての説法こそが阿弥陀仏(動)であることを明かし、「善の回向修行(人の為に)」によって自己を超えた大きなつながりの中で人間として生きていくということが、現代に特有の問題を一挙に解決するただ一つの方法です。
このような五門に基づいた修行によって、自己のため人のため社会のために人生の達人を目指す、現代人のための正統菩薩道の道場ゆえに「五門会」と名付けられました。

また、『六波羅蜜経』に「仏教に入るに五つの門あり」と説かれていることから、「現代人が仏教との縁を結ぶ入口」という意味もあります。


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五体投地とは

イスラム教の五体倒地
五体投地でイライラ・モヤモヤ・悩み・不安・迷いを吹き飛ばす!
五体投地で古い自分を脱ぎ捨てる!

『スッタニパータ』蛇経
「・・・修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである」


【五体投地】
両手・両膝・額という身体の五部分を地に付けて平伏し、仏に礼拝すること。
仏教徒の最大の尊敬を表す作法。
自らをすべて仏に投げ出す捨己の修行により、生きるも死ぬも越えた仏の境地と一体になってゆきます。

日本では仏教の修行法が一般にあまり公開されていないため、僧侶の修行というと坐禅の方が有名ですが、アジアではチベットを筆頭に五体投地の方が遥かにメジャーなものであり、出家僧侶も在家信者も皆この五体投地を実践しております。
アジアの仏教国に行けば、必ず目にする光景であります。

坐禅を静の修行とすると、五体投地は動の修行です。
どちらが向いているかは人それぞれですが、運動不足ストレス過多の現代人にとっては身体を動かして何かをするという必要性が高まっているのは確かです。
また、浄土門には五門の修行法(五念門)があり、動の修行法(礼拝行)の他に静の修行法(観法)もあります。浄土門は人を選ばずの所以です。


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