====================== Solution Forcus Buddhism こころ寺子屋 ======================
宗教でも哲学でも学問でもなく、生き方としての仏教"菩薩道"。
それは自分も周りも皆が笑顔になる為の自己修練の道です。
自分に人に社会にいいことしよう!がコンセプトのTERAKOYA eduが主催する、 解決志向仏教を活用して人間力を向上する〜全六回講座こころ寺子屋が、あなたの人生を応援します。
あなたの悩み解決できます。もう一人で悩まないで!

信仰儀礼型仏教から解決志向型仏教へ


『こころ寺子屋』では「自己の問題解決」と「人の為にという生きがいの創造」を目的として情報発信しています




あなたは今どんな問題に悩んでいますか?
ストレス解消法でニコニコ
仕事のこと? 恋愛のこと? 家族のこと? 人間関係のこと?
先のことを考え心配したり、やってしまったことに後悔したり、人と比べてブルーになったり・・・

そしてこんなことに悩んだりしてませんか?
毎日イライラしてばかり、ストレスでしんどい、マイナス思考な自分が嫌、やりたいことがみつからない、自分に自信が持てない、人生に充実感がない、心豊かでありたい、精神的に成長したい、もう傷つきたくない、傷つけたくない、自分を変えたい、人生をもっとよくしたい・・・

悩みや問題を持っていることは特別悪いことではありません。
問題なのは、その問題がある限り自分は幸せになれないと思ってしまっていることです。

今日までよく頑張ってきましたね。もう十分すぎるほど悩んできたんですから、そろそろ終わりにしましょうよ。
私もそんなうちの一人でした
はじめまして、こころ寺子屋を主宰している僧侶の名和英海と申します。

私は幼少より親の目・人の目を気にする神経質な人間でした。
どうやったらほめてもらえるだろう、何が出来たら認めてもらえるだろう・・・
そして嫌われないように、失望されないように、怒られないように、そればかりを考えて生きてきました。

コンプレックスもたくさんありました。
私は広いおでこ・薄眉・細髪の三拍子が揃っており、しょっちゅうハゲハゲといじられていました。
また、異性と話が出来ない、人前でものが食べれない、ここでは書けない性的な悩みなど、人知れず辛い思いをいくつも抱えていました。
周りに友達はいましたが、心はいつも孤独でした。

それでも幸か不幸か、人前でうまく立ち回る・自分を偽って大きく見せることに対する努力への情熱と少しばかりの才能があったようで、有名大学・一流企業と、コンプレックスを隠し通し、誰もが私は「何の悩みもなく成功した人生を送っている」と思っていたと思います。
人に羨ましがられることはあっても、悩みを抱えて苦しんでいることを知る人間は誰もいませんでした。
でも、私の心は今にも張り裂けそうでした。

もっともっと私を認めてほしい!そんな焦燥とした思いに駆り立てられながら、と同時にそれなりの結果を出してきたうぬぼれも手伝って、起業を志して会社を辞めました。
しかし、しょせんは井の中の蛙、今まで人に支えられてここまで来れていたことも知らずに、自分一人の力と思い上がっていた張りぼての自信がガラガラと崩れてゆきました。
何とかしなければと嘘に嘘を塗り重ね、気がつけばお金も友人も自尊心も、全てを失いました。
何もかもから逃げ出したい
出家。
考えてみれば、生まれて初めて親の反対を押し切って選んだ道だったかもしれません。
お寺での毎日は、予想に反して楽であり、しかしある意味耐え難いものでした。
早起きや正座という身体的な苦痛もありましたが、何よりもエリートとしてバリバリ働いていたこの私が、日がな一日掃除と読経だけの、何の能力も必要としないあまりにも非生産的な毎日を一年二年と続けてゆくのです。

誰の役にも立っていないという怖れ!

しかしある時、はたと気づいたのです。
なんと私は全く嘘をついていない!?
あれだけ隠そう隠そうとしていたおでこを坊主にしてさらけ出し、毎日かっこ悪い作務衣で過ごし、一銭も稼がず何の役にも立っていない私が、生きていることを許されている。
いつの間にか私の心は平和でした。

今まで自分を守るために、人にも自分にも嘘や言い訳をどれ程してきたことでしょう。
けれどもいつも苦しいままでした。
嘘をつかない、自分を大きく見せない、ありのまま等身大の自分。
自分を守ろうとすることをやめた時、一番心が平和だったのです。

友達をなくした、そう思っていた私にとって結婚式は恐怖以外の何者でもありませんでした。
ところがみんなは許してくれていました。そしてお祝いに来てくれました。
自分を守ることをやめた時、人が世界が私を守ってくれるようになったのです。

私が問題だと思っていた悩みは全て、原因分析などすることなしに、いつの間にかほとんど解消されていました。
ただ嘘をつかないというそれだけで!
これが仏教の本当の力なのです
祈祷、信仰、儀式、作法、それらは仏教の本質ではありません。
仏(全智者)の教えに基づく生き方は、それ自体がパワフルな問題解決法そのものだったのです。

何もしなくていい。
そのことを知ったはずの私は、現在おそらくあなたよりもずっと忙しく社会活動に動き回っています。
自分に正直になると、やりたいこと・やるべきことがはっきりと見えてくるからです。

その中で、もしも昔の私と同じように悩みを抱えている人がいるならば、本当の仏教「Solution Forcus Buddhism」を伝えてゆきたいと思っています。
坊さんとしてというよりは、同じ悩める人間として、ラフにTシャツでやりますから、あなたも気軽に会いに来て下さい。

都内各地で開催中です(定例会場は武蔵境・調布の西方寺)

都内近郊3人以上が集まれば出張講座します。場所は自宅でもレンタルスペースでも構いません。



あ、一番大事なことを忘れてました・・・

結局のところ、人との出会いが人生を変えるんだということを。

本を何十冊読んでも何も変わらなかった私の人生が、金子先生(現在長野本山大住職)に出会って変わったように。
あなたとお会いした時には何が起こるのか、あなたとの一期一会を楽しみにしております。







追伸
どうしても直接寺子屋に来る勇気の出ない人、まずはメールでご相談に乗りますよ。


Happy, at rest, may all beings be happy at heart!
生きとし生けるものはみな幸いであれ、安穏であれ!



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奈良時代の名僧、行基菩薩

「菩薩」と言えば、大乗仏教興隆以前にはお釈迦様の成道前の修行時代のことのみを指し、大乗仏教においては観音菩薩や文殊菩薩、弥勒菩薩などへの信仰が盛んになりました。
ところが、歴史上実際に存在した人間でありながら、人の為にとの想いに人生を捧げたその生き様を称えて人々から「菩薩」と呼ばれ敬われた方々がいます。
そんな方々の生き様を通して「菩薩道とは何か」を受け取り、彼らのいのちを引き継いでゆきたいものです。
710年(和銅3年)3月10日都が藤原京から平城京へ遷都され、行基43歳は、薬師寺、大安寺(大官大寺)等の南都の諸大寺の移建に貢献したが、711年(和銅4年)9月4日諸国の役民が造都に労し奔亡(ほんぼう)多く、詔(みことのり)が出されて、兵庫に軍営が建てられ、712年(和銅5年)正月16日諸国の役民で帰郷の時に飢える者が多く、国司らが賑恤(しんじゅつ)し、10月29日帰郷の役夫と運脚夫の困難を救う為、郡稻を便地に貯えて交易せられたが、見るに見かねた行基45歳は、貧困に苦しむ民衆に飯を与えて泊める為の施設、「布施屋」を摂津に3つ、和泉、河内、山城にそれぞれ2つ建て、また、生駒山の東側(生駒谷)に僧庵「草野仙房(かやのせんぼう)」を営み、そこで布教活動をしましたが、寺院外でも布教の禁止を破って行ったため、717年(養老元年)4月23日行基の民間伝道が僧尼令違反として弾圧されたが、それでも、女帝で第44代元正天皇の御代、721年(養老5年)行基54歳は、平城京右京三条三坊に寺史乙丸より宅を寄進され、そこの地名を取って菅原寺(現在の喜光寺)と称し、それまでの和泉、河内を中心とする活動から、菅原寺を中心に活発な布教活動を行うと、境内に入りきれない難民が溢れました。

なお、行基は全国を行脚するために我国初の日本地図である「行基図」を作り、後々まで日本地図の原図として用いられ、原図は現存しないけど、江戸時代の中期に「長久保赤水」や「伊能忠敬」が現われる以前の日本地図は、「行基図」を元にしたものと云われています。

また、行基は全国各地の温泉も掘り出し、草津温泉、野沢温泉、山代温泉、山中温泉、有馬温泉など、行基開湯の伝説が数多く残っています。

738年(天平10年)行基の布教活動を朝廷が認め、彼を「行基大徳」と呼び、その業績を大いに讃え、行基の布教活動を許しましたが、行基は宗教活動の他、社会事業にも精進し、摂津から河内への直道や、橋(摂津に4、山城に2)、大阪狭山市の狭山池、岸和田市の久米田池、伊丹市行基町の昆陽池などの溜池(和泉に8、摂津に6,河内に1)、船溜まり(和泉、摂津にそれぞれ1)造り、摂津から播磨にかけて、河尻泊(尼崎市神崎町)、大輪田泊(神戸市兵庫区)、魚住泊(明石市魚住町)、韓泊(姫路市的形町)、室生泊(たつの市御津町室津)の5つを整備し、行基が海上の安全を祈祷したら、畳2枚ほどの大きなエイが現れたのが明石の江井島(えいがしま)漁港で、堀(摂津、河内にそれぞれ1)、溝(摂津に3、和泉に2,河内に1)、樋(河内に3)などを各地に造り、その他、行基は「興福寺」、「元興寺」および総国分寺「東大寺」の建立に尽力し、生涯に48ケの大寺院を始め、全国津々浦々に寺院道場を約1400も建立したのに、「元興寺」の智光は行基の悪口を云ったので、地獄へ落ちたが、その後蘇生して行基に謝ったと云われ、「元興寺」の屋根は、日本最古の瓦を使用し、行基葺と呼ばれています。

746年(天平18年)行基は宿願があって春日神祠に参籠すると、春日明神の夢のお告げがあり、「ここから坤(ひつじさる、西南)の方向に霊地がある。すみやかに精舎を建て、人々を救え」と云われたので、当時密生していた椣(しで)の霊木を以て、一刀三礼(いっとうさんらい、一刀するごとに三度礼拝)しながら、高さ1mほどの本尊「薬師如来坐像」を彫り、聖武天皇の勅許を受け一大精舎を建立し、名付けて椣原山(しではらさん)「金勝寺」と称し、また、聖武天皇より賜った長谷試観世音菩薩像を携えて、これを安置する場所を求め、山陽道を下り、和田岬まで来た時、異光を放つ処があったので、不思議に思い近づくと、地中より薬師如来が出現し、その地を有縁の地と定めて伽藍を創建し、薬師如来と携えて来た観世音菩薩像を共に祀ったのが兵庫区今出在家の「薬仙寺」です。

「蟹満寺」の逸話
 「日本霊異記」中巻第八話によると、昔、山城国紀伊郡に生れつき慈悲深い女がいて、7歳の時から法華経を読誦(どくしゅ)し、常に観音菩薩を念じていましたが、ある時、村の牛飼いの子供が蟹八匹を捕って焼いて食おうとしていたので、彼女が着物と蟹を交換して、蟹を助けてやりました。また後に山中で、大蛇が蛙を呑み込もうとしていたので、「お前の嫁になるから、蛙を放しておくれ」と云って、蛙を助けてやりました。
 そして、3日の後、大蛇が彼女に妻になることを要求して来たので、女が行基菩薩に悩みを訴えると、行基菩薩が、「仏・法・僧の三宝を厚く信じなさい」と云われたので、約束の日に女が家に篭り、一心に三宝を敬いお祈りしていると、大蛇が屋根に穴を開けたのに、ドスンと落ちて来ました。よく見ると、大蛇に八匹の蟹が食いつき、八つ裂きにして、昔の恩返しをしました。なお、これらの話は、平安後期の「法華験紀」や「今昔物語集」にも載っています。

(引用元)『奈良観光』(引用転載了承済み)






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あなたも苦しみから救われます。誰でもできます。 | 統合失調症の治し方 | 2007/08/19 4:45 PM


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